中国ビジネスをサポート。調査・取材プロが提供する中国情報

中国 愛・人日記

ホーム  > 中国 愛・人日記  > 第1話 "男ちゃん"がみせた"女の顔"と"男の顔"

第1話 "男ちゃん"がみせた"女の顔"と"男の顔"

 黄男(ホアン・ナン)――担当したクラスで、いちばん勉強熱心だった子だ。教科書と辞書を片時も離さず、勉強以外に趣味はないのかなと、ちょっと心配になるくらい勤勉な子だった。

 中国で出会った忘れえぬ人たちとの思い出を紹介するうえで、20代の後半に2年ほど過ごした湖南省長沙市での日々を抜きには語れない。日本人にはあまり馴染みがない長沙という地方都市を生活の場に選んだのは、知人が経営する日本語学校の教師として迎えられたからだ。右も左も分からぬ新米日本語教師を、いつも温かく見守り、励ましてくれたのは、純真無垢で心優しき生徒たちと、底抜けに親切な地元の人たちだった。あれから15年――ほとんどが中学を卒業したばかりの子だったのだが、まだ小学生のようなあどけない顔で、笑い、泣いていた、あの子たちも、今はもう立派な父親、母親になっているのだろうか。当時の記憶を辿りながら、コラムのなかで彼らと“再会”するのが楽しみだ。

 

第1話 “男ちゃん”がみせた“女の顔”と“男の顔”

 

 黄男(ホアン・ナン)――担当したクラスで、いちばん勉強熱心だった子だ。教科書と辞書を片時も離さず、勉強以外に趣味はないのかなと、ちょっと心配になるくらい勤勉な子だった。

 背はクラスでいちばん小さかったと記憶している。短く刈り込んだおかっぱ頭と、キラキラと輝く大きな目が特徴で、いつも折り目正しく、礼儀作法も実にしっかりとしていた。

 典型的な優等生タイプといっていい。まだたどたどしい日本語しか話せない子が多かったなか、黄男だけはレベルが群を抜いていた。世話焼きでもあったので、班長をお願いしたところ、快く引き受けてくれ、僕は「ああ、これでこのクラスは心配ない」と安堵したのだった。

 ところで、今回の主役の黄男、みなさんは利発な男の子をイメージされたことと思うが、実は正真正銘の女の子である。中国人の名前は、ぱっと見て男女を判別するのが難しいのだが、それにしても女の子で「男」という名前はかなり珍しい。ただ、残念なことに、名前の由来は最後まで聞かずじまいだった。両親が「男の子のように強くなってほしい」との願いを込めて命名したのだろうか。それならば、決して弱音を吐かず、芯の強い黄男は、両親の期待に十分応えていたと断言できる。

 赴任してまもなく、黄男の家に招かれたことがある。薄暗い街路灯を頼りに、下町ふうの裏通りを進んでいくと、やや奥まった一角に黄男と父親が暮らすアパートがあった。詳しい事情は聞かなかったが、母親は不在のようだった。

 おそらく年齢よりも老けてみえる父親は、皺だらけの顔に優しげな笑みを浮かべ、「娘がいつも学校でお世話になっています」と慇懃に頭を下げた。黄男の部屋には、小さなベッドと学習机が置かれているだけで、学校に併設されている寮とあまり変わらなかった。ただ、机に積まれた本の山が、黄男の猛勉強ぶりを物語っている。一心不乱に机に向かう後ろ姿が、目に浮かぶようであった。

 日本語を始めたきっかけを聞くと、「給料が高い日系企業に就職し、早く父親を助けたいからです」との答えが返ってきた。黄男の家庭が経済的に裕福でないことは、部屋の様子からも疑いようがない。小さな肩に重い責任を背負い、「父親を助けたい」と力強く語る表情は、気概に満ちた“男の顔”になっていた。

 その後の黄男は“質問魔”となり、放課後や休日の朝、僕の部屋まで訪ねてくることも珍しくなかった。正直、前夜の酒が残っている休日の朝などは、「おいおい、朝寝坊させてくれよ」と愚痴りたくもなったものの、「父親を助けたい」――あの日の言葉が頭をよぎり、真剣に向き合わざるを得なかった。

 しかし、黄男は単なるガリ勉ではなかった。「先生、今度の日曜は山登りに行きましょう」「週末の夜、みんなで鍋を食べましょう」などと、クラスの仲間に声をかけ、楽しいイベントをいろいろと企画してくれたのである。

 ほんとうは勉強していたかったのかも知れないが、「日本人がいない異国の地で退屈にしているのでは」との、黄男なりの気遣いだったに違いない。山登りやバーベキューに出かけたとき、黄男は「先生、一緒に写真を撮ってもいいですか」と、恥ずかしそうに寄り添った。キャーキャー騒ぎながら、堂々と腕を組んだりするませた女の子も少なくなかったが、黄男はいつも控えめに並んでいるだけだった。とはいえ、その横顔を盗み見ると、紛れもなく“女の子の顔”。「たまには勉強を忘れて遊ぶのもいいだろう」と声をかけると、「はい。そうですね」と微笑んでから、「でも、こうして先生と日本語で会話をするのは、とても勉強になりますから」と“らしい”言葉を続けた。

 今年、あの黄男も三十路を迎えるはず。親孝行の夢を実現し、幸せな結婚をし、今度は“母の顔”をみせているのだろうか。願わくば、ぜひ子どもに日本語を教え、僕に「いつか黄男母子と日本語で話す」という夢をみさせてほしい。 

日時:2011年04月15日09:34

« 前の記事へ はじめに

ページトップへ戻る

HOME  | 会社概要  | 事業内容  | コラム  | お問い合わせ  |  プライバシーポリシー  |  サイトマップ

アジア総合通信社 TEL&FAX:03-3334-1530 Mail:

Copyright(C)Asian Integrated News Agency Corporation.2010 All Rights Reserved.